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東京高等裁判所 昭和54年(う)2309号 判決 1981年2月19日

被告人 林功夫

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人黒澤辰三の提出した控訴趣意書に記載されているとおりであり、これに対する答弁は、検察官今野健の提出した答弁書に記載されているとおりであるから、いずれもこれを引用する。

一、原判決判示第一(贈賄の事実)についての控訴趣意

(一)  第一点について

所論は、要するに、原判示の長野県南佐久地方事務所林務課長高橋平八が板橋財産区と樋沢林野保護組合の共有地に関する紛争を解決するため行つた本件調停のための斡旋仲介は、本来独立の行政機関である長野県東信事務所の権限に属する事項であつて、これと別個の機関である右南佐久地方事務所の林務課長の職務とはその内容において著しくかけ離れた異質のものであり、また、その職務と密接な関係を有するものでもなく、したがつて、右高橋の斡旋行為に対する謝礼の趣旨で被告人ほか四名の者が高橋に贈与の申込をした一〇万円の金員は、高橋が林務課長として分掌する本来の職務と対価関係に立つものではないにもかかわらず、右高橋の斡旋行為をもつて林務課長としての職務と密接な関係のある行為にあたるとして、被告人に対し贈賄罪の成立を認めた原判決は、事実を誤認した結果、法令の解釈適用を誤つたものであり、これらの過誤が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで訴訟記録及び各証拠を検討するのに、原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、長野県南佐久地方事務所林務課長高橋平八が本件村上地籍の土地に関する板橋財産区と樋沢林野保護組合との紛争を解決するためその斡旋行為を行うにいたつた経緯については、原判決が認定しているとおり、昭和四四年長野県は同県南佐久郡南牧村内の村上地籍の共有地内を通過する県営大幹線林道八ヶ岳線を開設することとなつたが、右林道開設の事業執行を所管する同県南佐久地方事務所では、右通過地籍の土地所有者はその名義人となつている南牧村であると考えて、同村の承諾をえたうえ、着工し、同年一〇月六日南牧村内でその起工式及び祝賀会を挙行したこと、ところが、右村上地籍の土地は登記簿上南牧村の単独の所有名義となつているものの、実質は同村と同郡川上村とが共有している状態にあるものであり、そのうえ、南牧村内の板橋部落では特別地方公共団体である板橋財産区を設立し、一方の川上村内の樋沢部落では任意団体である樋沢林野保護組合を作つて、両者の間で右土地の帰属やその利用をめぐつて古くから激しい紛争が繰り返されてきたいきさつがあること、そこで、右樋沢林野保護組合の組合長であつた被告人は、右村上地籍内で右組合に無断で林道を開設することは許されないとして、南佐久地方事務所に対し工事の即時中止を要求するとともに、この要求が容られなければ、工事区域内への坐り込みをも辞さないとの強硬な抗議を行つたこと、右抗議を受けた南佐久地方事務所では、南牧村及び川上村の各村長をはじめ双方の関係者との数次の会談の結果、右林道開設工事を遂行するためには両者の紛争を解決するための斡旋を行わなければならないとの判断に達し、被告人らの諒承をえたうえ、その斡旋工作に入つたこと、すなわち、所長の命令により右斡旋を行う担当者を林務課長の高橋と定め、同人は両村内へ赴き、あるいは地方事務所へ双方の関係者の出頭を求めるなどして紛争解決の斡旋仲介につとめた結果、共有状態を解消することを内容とする合意に達し、昭和四五年一二月二二日同地方事務所長の提示する調停案を南牧村及び川上村並びに板橋財産区及び樋沢林野保護組合が承認して、ついに紛争の解決をみるにいたつたことをいずれも明らかに認めることができる。そこで、以上の事実関係にあらわれている高橋平八の紛争解決のための斡旋行為と職務との関係について考察するのに、高橋は、当時長野県事務吏員で、同県南佐久郡下を管轄する南佐久地方事務所の林務課課長の職にあつた者であるから、地方自治法一七五条二項、長野県組織規則七五条の(8)、七七条の8、同県事務処理規則五条一項別表2の5の(43)(44)の各規定により、南佐久地方事務所長の指揮監督を受けて、「林道その他林産物の搬出施設に関すること」「県営林に関する事項」「森林土木事業に関する事項」等をその職務の内容としていたことが明らかである。右の各規定からすると、前記紛争解決のための斡旋行為が直ちに林務課長としての高橋の本来の職務に該当するものとはいえないにしても、前説示のような経緯によつて、右紛争の解決は、高橋が、県地方事務所長の命により同事務所林務課長の職務として執行すべき林道開設工事の遂行にあたつて避けることのできない事がらであり、同人は、右林道開設工事の施行に伴う必要不可欠な事項として本件紛争解決のための斡旋行為を行つたものであるから、同人の右行為が少なくともその職務と密接な関係を有するものであつたことは明らかといわなければならない。所論は、本件土地の紛争に関する行為は、右土地を管轄する長野県東信事務所の所管であつて、南佐久地方事務所の所管ではないのであるから、同地方事務所がした調停斡旋行為に対する金品の贈与は、同事務所の職務の公正とこれに対する社会一般の信用を害することはない、というが、たとえ財産区の一般的指導監督の権限が右県事務所にあつたとしても、右地方事務所の機関である高橋の行つた本件斡旋行為が、右地方事務所固有の所掌事務である林道開設工事の執行と密接な関係を有するものであつたことは前説示のとおりであるから、右高橋の斡旋行為に対する謝礼の趣旨で提供された金品が同人の職務と対価の関係に立つことは明白であり、このことが公務員の職務の公正とこれに対する社会一般の信頼をそこなうにいたるものであることは多言を要しない。

以上のとおり、被告人が、高橋に対し、本件土地に関する板橋財産区と樋沢林野保護組合との紛争の解決について斡旋の労をとつたことに対する謝礼の趣旨で供与の申込をした現金一〇万円は、高橋の職務に関する賄賂であると認めた原判決には、所論のような事実の誤認又は法令の解釈適用の誤りは存在しないから、この点の論旨は理由がない。

(二)  第二点について

所論は、要するに、被告人をはじめ原判示両団体の役員らは、高橋平八に対して現金一〇万円を提供するにあたり、これが公務員の職務に対する不正な報酬であるという認識を全く欠いていたのであるから、被告人らが贈賄罪に問われるいわれはないのに、これを肯定して被告人に対し贈賄罪の成立を認めた原判決は、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認をおかしたものである、というのである。

しかしながら、原判決挙示の証拠によれば、その判示するとおり、長野県南佐久地方事務所施行にかかる県営大幹線林道八ヶ岳線の敷設にあたつて、右新設道路の通過予定地に関する紛争解決のため斡旋の労をとつた同地方事務所林務課長の高橋に対し、被告人から現金一〇万円の贈与の申込がなされたが、そのさい、高橋の行つた紛争解決のための斡旋行為に対する謝礼の趣旨で右現金を提供するものであつて、両者が互いに対価の関係に立つものであることについては、被告人において疑う余地もなく明白な認識と意図を有していたことが認められるのであるから、被告人の心情の一部に所論のような高橋に対する純粋な感謝の気持が存在したとしても、このことによつて被告人の贈賄に関する故意が否定されるわけのものではなく、この点においても原判決に所論のような事実の誤認は存在しないから、論旨は理由がない。

(三)  第三点について

所論は、要するに、被告人らが贈与しようとした金員の額は一般社会の儀礼の範囲に属し、その所為はいわゆる可罰的違法性を欠くものであつて、被告人に対しては無罪を言い渡すべきであるにもかかわらず、本件金員の額が社交儀礼の範囲を超えるものであるとし、本件行為の可罰的違法性を肯定した原判決は事実を誤認したものであるから、破棄を免れない、というのである。

しかしながら、本件土地に絡む前記紛争の経過と高橋の斡旋行為が行われた当時の状況を前提にして、関係証拠にあらわれている被告人らと高橋との間の従前からの関係並びに本件贈与の申込にかかる金員の数額及び原判示贈与申込の態様から考察するときには、本件一〇万円の金員贈与の申込が、社交的儀礼の範囲内に属する程度のものでないことは明らかというべきであり、また、その行為が社会的相当性の範囲を逸脱して、いわゆる実質的にも違法性を帯有するものである点は疑うべくもないところであるから、弁護人の右主張を排斥した原判決の判断は正当であつて、論旨は採用することができない。

二、原判決判示第三(業務上横領の事実)についての控訴趣意

所論は、原判決の事実誤認を主張し、被告人が組合長をしていた前記樋沢林野保護組合は、株式会社西武百貨店(以下単に西武という。)との間で、原判示の土地につき締結した賃貸借契約を合意解除するにあたり、右契約のさい西武から受領した契約保証金一、〇〇〇万円及びその利息金を西武に返還することとなつたが、被告人は、右樋沢林野保護組合とともに本件土地の共有者である板橋財産区との利害の調整をはかりながら、右土地の取得を熱望する西武の要請にも沿うよう努力し、右土地処分のさいには、西武の優先入手に協力する旨を約するなど、西武の利益のために尽くしたことを理由に、西武に対して前記利息金を被告人らに贈与して欲しい旨を申し入れたところ、西武もこれを了とし、右土地買収の確保を一層確実にする目的もあつて、被告人ら五名の者に右利息金全額を贈与したというのが本件の真相であつて、本件利息金は被告人ら五名が西武から正当に取得したうえこれを分配したものであり、したがつて、被告人には不法領得の意思もなかつたにもかかわらず、措信しがたい西武側の証人である杉本昌三の原審証言や伊藤正一の供述調書等を採証の用に供し、右利息金の分配行為をもつて横領にあたるものと認定した原判決は、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認をおかしている、というのである。

そこで、訴訟記録及び各証拠並びに当審における事実取調の結果に基づいて、所論の諸点につき検討するのに、原判決挙示の関係各証拠を総合すると、樋沢林野保護組合と西武との間で原判示の土地につき賃貸借契約が締結されたが、その後右契約が合意によつて解除され、右契約に伴つて授受された保証金一、〇〇〇万円が右組合から西武に返還されるにいたつた経過及び右保証金の保管中に生じた利息の取扱いについて被告人と西武側とが話合いをした結果等に関しては、原判決が「弁護人らの主張に対する判断」の項の第三の一の(1)から(4)までにおいて詳細に判示しているとおりの事実関係が肯認される。右によると、前記賃貸借契約が合意解除されたさい、西武は、被告人の申入れを容れて、右組合に対し、保証金の元金一、〇〇〇万円の返還を求めただけで、それを超える利息、損害金等は請求しないと返答していたことは明らかであるが、このことは単に利息等の請求をしないという意思表示にとどまり、この点に関する原審証人杉本昌三の供述、伊藤正一及び荒井豊の司法警察員に対する各供述調書等に徴すれば、当時右契約の合意解除に関する折衝に当つていた西武側の担当者らにおいて、樋沢林野保護組合が保証金一、〇〇〇万円を農業協同組合に預金することによつて生じた利息金を被告人ら五名に贈与するなどと述べた事実のないことが認められるのである。所論は、右杉本昌三らの供述は、その内容が明確を欠くばかりでなく、本件事案の経緯及び被告人の本件行為の動機等から考えて、措信することのできないものであるというが、右杉本は当時西武側の現地における責任者であつて、同人の原審証言は、その都度みずから書き込んでいた手帳(東京高裁昭和五四年押第八一八号の六)のほか西武側において本件利息の処分について上司に承認を求めた依頼書、被告人ほか一名作成の本件利息の領収証及び西武と樋沢林野保護組合との間の賃貸借契約の合意解除に関する内容を記載した覚書の各写等に基づき、右合意解除に関する交渉の経過や事態の推移に従つて順を追い、確信をもつて述べられているものであつて、その内容に不自然な箇所や不合理な点が少しもみられないばかりでなく、前掲伊藤正一及び荒井豊の各供述調書ともよく符合し、更に、当審における証人尋問においても、ほぼ同旨の供述を繰り返えしていること等の諸点から考えて、十分信用に値するものと認められ、本件事案の経緯等に関する所論指摘の諸点から検討してみても、その証言内容に疑義を抱かせる節は見当らない。更に、右契約の合意解除につき被告人とともに西武側の担当者と折衝していた吉沢晃の検察官に対する昭和四八年七月二六日付及び同年八月三日付各供述調書並びに吉沢学の検察官に対する同年七月二五日付及び同年八月二日付各供述調書によれば、同人らは、前記利息金等の請求はしない旨の西武側担当者の返答の意味について、利息金は被告人ら五名が勝手に処分してもよいということではなく、板橋財産区と樋沢林野保護組合とで使つてほしいとの趣旨に理解した旨の供述がみられるのである。そして、右杉本、伊藤、荒井、吉沢晃及び吉沢学の各供述内容と被告人ら五名が本件保証金一、〇〇〇万円に対する利息一七〇万円余を西武から贈与された旨の所論に沿う被告人の供述内容とを対比してみると、被告人の供述には他にその信用性を補強するに足りる特段の資料も存在しないうえに、その供述自体に首肯しがたい点が少なからず見受けられ、特に、西武が前記土地に対する優先取得を確保するためとはいえ、一七〇万円に上る利息金を被告人ら個人を対象にして贈呈したとする理由については、被告人が、樋沢林野保護組合と紛争中の板橋財産区の神経を刺激しないように配慮しながら、本件土地の買収を熱望する西武の意向に沿うべく奔走した所論のいわゆるブリツジ方式を将来において活かすための布石として、右利息金を被告人らに贈与したものである旨の所論を勘案してみても、なお首肯しえないものが残るのであつて、結局被告人の供述内容は、その重要な部分において真実性に欠けるものといわざるをえない。

以上を総合すれば、右契約の合意解除にあたり、西武側が保証金の返還に関して意思表示をした事項は、保証金の返還は元金一、〇〇〇万円だけでよく、これに対する利息相当分については返還を求めないという点に限られるのであり、したがつて、右保証金が預金されてその利息金を生じていた場合には、右利息金の交付を請求しないという意思表示にとどまるわけであつて、それ以上に右利息金を被告人ら個人に贈与する旨の意思表示をした事実はなく、この点は右の折衝に当たつた樋沢林野保護組合側の被告人も十分了承していたことであるから、右保証金を預金することによつて生じた本件利息金は、西武との間の契約の合意解除に伴う話し合いの成立後においても、原判示のとおり預金者である樋沢林野保護組合に帰属していたものといわなければならない。かくして、所論にもかかわらず、原判決の認定するとおり、被告人が、同判示のころ、不法領得の意思をもつて、右利息金を被告人及び吉沢弥太郎ほか三名にそれぞれ各自の用途に費消するため分配して横領した事実を優に肯認することができるのであつて、その他、所論が縷縷主張する諸点について訴訟記録及び関係各証拠を検討してみても、被告人に対し業務上横領罪の成立を認めた原判決に所論のような事実の誤認は見出だすことができないから、論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は同法一八一条一項本文によりこれを全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決をする。

(裁判官 西川潔 杉浦龍二郎 阿蘇成人)

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